大阪・百舌鳥古市観光~古墳巡り~

古市と百舌鳥を代表して二人の天皇陵

奈良、東京、京都二か所とこつこつ集めてきた御陵印。

残るところ大阪の宮内庁古市陵墓監区事務所のみとなっていましたが、
大阪の百舌鳥・古市の古墳群が世界遺産に登録されたという事で
一番ホットな時期に行く事にしました。

百舌鳥と古市の両古墳群は距離が離れており、
鉄道を使っても回り道になるなど、交通の便が悪いのですが、
指定場所で乗り捨て可能のもずふるレンタサイクルが行われていると知り、
御陵印がもらえる宮内庁事務所のある古市と
日本最大の古墳である仁徳天皇陵(大仙陵古墳)のある百舌鳥を
一緒に見て回ることにしました。

古市古墳群エリア

白鳥神社

古市駅に着いて、
まずはヤマトタケルを祭る白鳥神社へ行きましたが、
普段は駐在の神主さんはいないようで残念ながら御朱印はいただけませんでした。
この近くの駐輪所で自転車を借りるのですが、
これが後々大変な結果を招くことに…

白鳥陵古墳

自転車で最初に着いたのが白鳥陵です。
ここは天皇陵ではありませんが、ほとんど天皇陵と変わらない規模です。
それもそのはずでここは最初に訪れた白鳥神社の祭神でもある
ヤマトタケルの墓と言われています。
なぜ白鳥なのかというと
死んだ後に白鳥になって飛び去ったという伝説があるからです。
ヤマトタケルの墓と言われている陵墓は全国三か所、
三重と奈良にもあります。
日本書紀によると伊吹山の神によって瀕死の重傷となった
ヤマトタケルは三重の能褒野の地で亡くなり、現地で埋葬されたが、
ヤマトタケルは白鳥になって飛び去り、
大和琴弾原に降りて、最後にここ河内旧市邑に降りたったことから
ヤマトタケルの子である仲哀天皇の命により
それぞれの場所に陵を築かせたという事です。

仲哀天皇陵

14代仲哀天皇はヤマトタケルの子であり、神功皇后を妻に持つのですが、
近親者のキャラが濃すぎて本人の説話がなく影薄い天皇ですね(;^ω^)
伝説的逸話の多いヤマトタケル、神功皇后と共に
仲哀天皇にも非実在説があるようです。

応神天皇陵

日本で二番目、古市エリアでは最大の15代応神天皇の陵墓です。
この事から応神天皇が実在性のある最初の天皇と言われています。
この陵墓のそばに宮内庁事務所があり、
最後の御陵印という事で
万感の思いを込めて押してきたのですが、
京都桃山の事務所での押し忘れを発見してしまいましたw
家から近いからまだよかったけど…(遠出の際は注意しましょう)

誉田八幡宮

応神天皇陵の南隣に立派な神社があったので立ち寄りました。
ここは日本最古の八幡宮と言われています。
そもそも全国の八幡宮に祭られる八幡神とは応神天皇の事です。
天満宮に祭られる天神菅原道真であるのと同じで
神仏習合の影響が見られます。
八幡宮の総本山は大分の宇佐神宮で、
誉田八幡宮は日本三大八幡に含まれたり含まれなかったりしますが、
応神天皇の陵墓自体をご神体とする当社が日本最古を名乗るのは納得ですね。
天満宮といえば学業ですが、
八幡宮は勝負ごとにご利益があるという事で武士に信仰されました。
馬の埴輪がいい味出してる

百舌鳥古墳群エリア

古市エリアは他にも細かい古墳を見て回ったのですが、
最低白鳥陵、仲哀天皇陵、応神天皇陵の三つ見れたらいいかなという事で
その後は百舌鳥エリアに自転車で向かいましたが、
これがなかなかの距離です。

ニサンザイ古墳

途中、昼食をはさんで百舌鳥に着いて最初の古墳がここです。
ニサンザイ古墳は宮内庁によって
第18代反正天皇の空墓に推定されていますが、
その大きさから本当の陵墓ではないかという説もあるようです。
百舌鳥エリアの大型古墳としては一番新しいとされています。
ここ一帯は公園として整備されていますが、
古墳のテーマパークのような感じで
いろんなところに埴輪風のモニュメントや
前方後円墳型の丘があったり面白かったです。

仁徳天皇陵

最後に日本最大の古墳仁徳天皇陵に行きました。
桁違いの大きさでその全貌は地上からは確認できません。
これまでの天皇陵(古墳)は普通の住宅地の中にあったり、
日常風景に溶け込んでる印象ですが、
ここは駅近で大通りに面していてしっかり管理されている印象です。
地元の人も単に「御陵」と呼ぶ場合はこの仁徳天皇陵を指すそうで
実質世界遺産の中核となっています。
正直遭遇した観光客もこの古墳だけでしたしね…

16代仁徳天皇はその名前からも察するように
非常に徳の高い治世を行った「聖王」と言われ、
先代の応神天皇以上に美化されています。
それが古墳の大きさにも反映されているようです。

仁徳天皇の異母弟が菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)で、
応神天皇の皇太子で次期天皇の予定でしたが、
兄に皇位を譲るために自害したという美談があります。
これによって初代神武の頃からの
末弟が皇位を継承する慣例に変化が起こったとされます。
ちなみに地元の京都府宇治市に菟道稚郎子の陵墓があり、
宇治(うじ)の地名の由来にもなっています
もし、菟道稚郎子が死なずに天皇として即位していたら
どいような治世になったのでしょうか…
いつか地元の陵にも参拝したい。

この後、本当は百舌鳥では二番目の大きさの
17代履中天皇陵も観て回りたかったのですが時間がなさそうだったので
仁徳天皇陵付近で自転車を乗り捨てて
百舌鳥駅から鳳駅に移動して
和泉国一宮の大鳥神社を参拝して
最初の白鳥神社から白鳥陵、最後に一宮の大鳥神社ときて
ヤマトタケルな旅として終えようとしたのですが、
借りていた自転車がもずふるレンタサイクルではなく
普通の街の駐輪所のものだったらしく、
最初の古市の駐輪所に戻さなくてはならないことが発覚…Σ(゚д゚lll)
なかなかここまで来ることがないので
大鳥神社は何としても行きたかったところですが、
未練たらたら予定を全部キャンセルして、
ひたすらスタートラインの駐輪所目指して自転車を漕ぎ続けました…
古市はいいとして百舌鳥はいつか再訪して
大鳥神社にも参拝したいと思います!

健脚の方で時間に余裕のある方はレンタサイクルで
点在する古墳を巡るのもいいと思いますが、
自転車でも両エリア間の移動は大変なので、
細かい古墳とかをスルーして
応神天皇陵と仁徳天皇陵ぐらいでいいやという方なら
両エリアを繋ぐ周遊バスのほうが良いかもです。

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