横須賀・観音崎観光。

来年弟が関東を去るという事もあり、
今のうちに関東観光をしておこうという事で
先日、5月の鎌倉・江ノ島に続いて横須賀・観音崎に行ってきました。

まぁ「この世界の片隅に」を見たこともあって、
呉と同じ軍港繋がりで
横須賀海軍基地を見たかっただけなんですけどね(;^ω^)
今回は京急が出している「よこすかグルメきっぷ」を使って
一日中遊びつくしてきました。

あの原爆が広島と長崎に落とされたことからでも分かるとおり、
神奈川の横須賀は広島の呉、京都の舞鶴、長崎の佐世保と共に
鎮守府が置かれ、海洋国家日本の国防上最重要な港でした。
※京都、横浜も投下都市候補でした。

自衛艦隊司令部とヘリ空母いずも

汐入駅降りてすぐ横須賀港が広がっており早速イージス艦がお出迎え、
基地の対岸にあるヴェルニー公園を海沿いに歩いていくと、ヘリ空母も見えます。
ヴェルニーとは明治時代のお雇い外国人で
ヴェルニーの手によって近代的な製鉄所が横須賀に作られ、
軍港都市横須賀、日本海軍誕生の基盤となったわけですね。
公園はヴェルニーの故郷にちなんでフランス式の庭園になっています。
今時期は花が咲いてなくて寂しい感じですが、春になると綺麗なんだろうな。

ベルニーの胸像

戦艦陸奥の主砲

公園内には日本海軍の陸奥の主砲も展示してました。
船の科学館が所有していましたが、
オリンピックに伴うお台場の再開発により横須賀に里帰りしました。
今はまだ工事中のようですが、
塗装や説明板の設置を経て来年3月中には一般公開されるようです。

舞鶴の自衛隊基地には行ったことがあり、
実際に護衛艦に乗ったりもしたのですが、
横須賀港では米軍基地や自衛隊基地を見れる
「よこすか軍港めぐり」というクルーズがあり、乗船してきました。
45分間で軍港を一回り、日米の最新鋭の軍艦が見れます。
平日かつ時期外れな冬であるにも関わらずかなりの人。
土日祝日は事前予約が当たり前なほど人気との事。

今回は潜水艦やイージス艦のみならず、
世界最大の原子力航空母艦ロナルド・レーガン
海上自衛隊最大の艦船、ヘリ空母いずもも見れました。
こんなに多くの艦艇が見れるのはラッキーなのだそう。

空母ロナルド・レーガン

ヘリ空母いずも

舞鶴に米軍基地はないし、
原子力空母に至っては米軍基地のある佐世保でも見れず、
アメリカ国外を母港としているのが、
世界でも横須賀だけとあってその貴重さが分かると思います。
軍事機密の塊でもあるため
横須賀の街からは見えない場所にあり、
海上からでしか見られないのですが、
それでも遠目でしか確認することができませんでしたね。

横須賀港の内側に自衛隊基地、
海に突き出た外側の半島部分には米軍基地が有り
その周辺には米軍やその家族が生活するための娯楽施設や学校も完備されていて
テレビもアメリカの番組が流れ、アメリカ本国と変わりない生活ができるそう。
さながら出島のようでもあり、
個人的には自衛隊が沖に出るには米軍基地を通らねばならず、
常に何か監視されているかのような気持ちにもなりましたね・・・(´・ω・`)
日米共同で利用しているところも多いみたいですが、
トランプ大統領でこの日米同盟がどうなるのかと物思いにふけながら見ました。

クルーズが終わると飯時だったのでグルメきっぷを使って昼食です。
米軍のネイビーバーガーもうまそうでしたが、
ここは日本人。海軍カレーを選択w
横須賀中心部の横須賀海軍カレー本舗に行きました。
横須賀は海軍カレー発祥の地だそうで、
横須賀市内にそれぞれ特色のある海軍カレー屋さんがたくさんあります。

海軍カレーは小麦粉を利用したとろみのあるカレーシチューにライス、
薬味に福神漬け、チャツネ、サラダと牛乳がついたものが原則だそうで
味はどこか家庭的で懐かしいマイルドな味わいのものです。
玉ねぎをとろとろ煮溶かした欧風カレーや
ナンで食べるスパイシーなインドカレー、北海道のスープカレー
いろいろ食べてきましたがこれがTHE日本カレーなのかなと思います。

昼食後は三笠公園に行き
世界三大記念艦の一つ「三笠」を観てきました。

記念館三笠と東郷平八郎像

午前中見てきた平面的な現在の護衛艦とは違い
大きな主砲や側面に並ぶ砲塔の数々は勇ましく見えます。
中の展示は日露戦争、日本海海戦についてが大半で、
当時の船室も一部再現されていたり見ごたえがありました。

三笠は日露戦争中の連合艦隊旗艦
東郷平八郎が指揮していたことで有名。
史上まれに見る大勝利を収めた日本海海戦のシンボルであり、
退役後から記念館となりましたが、
戦中に金属不足のために備品が徴収されたり
戦後はソ連の抗議により、危うくスクラップにされるところでしたが、
戦後統治に影響が出ると見たアメリカによって救われました。
しかしながらGHQ接収後も放置され、
心無い米兵により金目の物が盗まれたり、
米軍相手に営業する「キャバレー・トーゴー」になるなど荒廃しました。
これを嘆いたのが東郷を師と仰いでいたアメリカのニミッツ提督で、
三笠の復興に協力したと言われています。

MIKASAPAINTING
東城鉦太郎「三笠艦橋之圖」(1907)

日本海海戦際中、
吹きさらしの最上艦橋に立つ東郷平八郎の有名な絵がありますが、
あの場所にも実際に立ちました。
こんな狭くて高いところで、しかも砲弾や水しぶき飛び交う戦場で
指揮を執り続けた東郷長官はすごいなと思います。(小並感)

東郷長官視点

猿島

三笠公園のすぐそばの三笠桟橋から
東京湾唯一の無人島猿島に行く船があるそうなのですが、
土日祝日限定のようなので断念。
三笠を後にして横須賀中心地から浦賀経由でいっきに観音崎に移動。
日本最古の洋式灯台である観音崎灯台に行きました。
現存しているのは三代目なのだそうですが、
これも元々はヴェルニーの手によるものだそうです。
ペリー初来航が浦賀だったように、この辺り一帯は東京湾の入り口付近に当たります。

観音崎灯台

お台場も元々は江戸を守るための海上要塞ですが、
観音崎にも首都防衛のために灯台が建てられたわけですね。
この付近には戦前まで日本軍の要塞が築かれていて様々な遺構が残されています。
山の中には太平洋を覗ける場所に立派な戦没船員の碑が建てられています。
先の大戦では人だけでなく多くの船も沈められたため、
横須賀にはこうした慰霊碑が多数見られます。

観音崎公園を海沿いに歩いていくと荒々しい岸壁から砂浜に出ます。
この多々良浜は初代ゴジラが「初出現」した場所ということで
ゴジラの足型が10分の1のサイズで残されています。

ここに昔、太平洋を背に陸に上がる姿を再現したゴジラの滑り台があり、
地元に愛されていたそうでその名残のようです。
元々はゴジラが「初上陸」した地として観光PRをしていたようですが、
実は劇中にその描写は無く「初出現」と改められた経緯があるそうです。
ゴジラ滑り台は老朽化により取り壊されましたが、
ここから近い久里浜の「くりはま花の国」という公園内に復活し現存しています。

日も暮れ、温泉に浸かって
横須賀中心地に戻り、スカジャン発祥の地どぶ板通りを散策しながら帰りました。

江ノ島は猫の島と言われていますが、観音崎にもがいっぱいでした。
そして、横須賀の街中は外国人もいっぱいw
オスプレイの墜落によって再び再熱しているように
米軍基地と沖縄はよく結び付けられますが、
日本の縮図ではあるけれども、沖縄が特別じゃないってことも
ここ横須賀に来るとよく分かると思います。

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