大阪・四天王寺観光。

帰郷二日目に大学時代の友人と大阪の四天王寺に行ってきました。
大阪のまんだらけに用事があると見せかけて
目的はもちろん四天王寺の御朱印です。

神社の御朱印は神社本庁のおひざ元で初詣日本一の参拝者を誇る
明治神宮をスタートの地に選びましたが、
お寺は宗派が多く、
神社本庁のようなまとまった組織もなく、
宗派間の交流もシビアな一面があるだけに神社以上に悩みました。

四天王寺は聖徳太子によって建立された寺の一つですが、
日本仏法最初を謳い、全仏教という立場から
どの仏教宗派にも属さない独立した「和宗」総本山を名乗っているので
(一時期は天台宗を名乗っていた)
ここを仏教の御朱印のスタート地とさせていただきました。

四天王寺

石鳥居
極楽門(西大門)
転法輪
西重門

いつも日本橋でんでんタウンに行くときに利用していた
恵美須町駅を起点にしましたが、
そこから四天王寺方面に徒歩で向かうと

西側の石鳥居から参道を通り、極楽門(西大門)西重門に突き当たります。
お寺に神社のシンボルである鳥居があるのは
単純に神仏習合の影響が残っているからだと思われがちですが、
この四天王寺の鳥居は日本最古とも言われています。
当然「日本最初の寺になぜ日本最古の鳥居があるのか?」
という疑問がわいてきます。
自分は大きく2つ理由がある気がします。
1つは御朱印が神社由来だと思われがちなのと一緒で、
そもそも鳥居が神社の物であるという概念自体が
後世で築き上げられたもので
仏教伝来直後は神社特有の物でなかった
むしろ神道が仏教伝来後にスタイルを取り入れたという説。
もう1つは聖徳太子
仏教信仰を広めながらも日本固有の神道も敬うという思想
四天王寺様式に反映されたのではないかという説。
この辺が飛鳥寺を建てた蘇我氏との違いではないかと
個人的に推察しているのですがどうでしょう?w

南大門側から見た中門と五重塔
残念ながら五重塔は工事中だった
南大門から見ると中門、塔、金堂、講堂が縦一直線に並びます。
いわゆる「四天王式伽藍配置」と呼ばれる
全国で四天王寺でしか見ることのできない独自の配置です。
一方、西の極楽門(西大門)から見ると横一列で一番広く見えます。
石鳥居から西側は当時、大阪湾が広がるになっていたというので、
海から来た諸外国の人たちに国威を示す目的があったのかなとも思います。
仏像は全て南を向いているように
お寺としては南側の南大門正門であり、
南から入るのが正式だと思いますが、
鳥居を見ると潜りたくなるのは
日本人の血がそうさせるのでしょうか?w
西から入るのと南から入るのとで四天王寺の見え方も変わります。
購入した四天王寺オリジナルの御朱印帳(1,200円)
今回はせっかくなので
通常の「大悲殿」「聖徳太子」の二つ御朱印いただきました。
仏教の御朱印は宗派に拘らずに集めたいところですが、
やみくもに収集するのではなく
まず聖徳太子にゆかりのある寺には行こうという目標が出来ました。

堀越神社

四天王寺のすぐ近くの茶臼山古墳にある神社。

四天王寺同様に聖徳太子によって創建された神社で
創建当時から明治時代中頃まで
境内の南側にがあり、それを渡って参拝したことから
その名がつけられたそうです。
蘇我馬子の差し金によって暗殺された崇峻天皇を祭神としており、
四天王寺の石鳥居と続いて、暗殺した側である蘇我氏と対比して
ここでも聖徳太子の尊王路線が見て取れます。
崇峻天皇は歴史上唯一暗殺されたことが確実視されている天皇ですが、
神社の置かれた茶臼山古墳は崇峻天皇の御陵ではなく
この地の豪族の陵墓ではないかと言われています。
四天王寺にはこの古墳のものと伝わる長持型石棺が保存されていますが
埴輪等の出土物がなく古墳ではないのではないかと言われたり、
詳しい事は分かっていません。
大阪夏の陣では徳川家康
大阪冬の陣では真田幸村が茶臼山一帯に本陣を構え、
徳川方の勝利に寄与したとして
古くから一生に一度の願いを叶える神社と言われています。
天皇を祀る神社なので菊紋に「堀」の字が入った神紋がある

坐摩神社

三ツ鳥居が有名なのに裏側から入ってしまった。
そして撮り忘れた(;^ω^)
四天王寺エリアから歩き
途中、まんだらけとお昼にココ壱番屋に寄って
ひたすら歩いて坐摩神社まで来ました。
「いかすりじんじゃ」と読みます。初見で読めないやつw
大阪の大都会のど真ん中にポツンとある
参拝者もさして多くない神社ですが、れっきとした摂津国一宮です。
一宮としては住吉大社の方が知名度がありますが、
ここは四天王寺からも近かったので…

四天王寺の石鳥居の話でもありましたが、
現在の大阪は埋め立てられたエリアが多く
昔の大阪湾はもっと東の内陸に食い込んでおり、
坐摩神社周辺も元々船場だったとされます。
創建は神功皇后三韓征伐の帰りに
当地に寄り坐摩神を祀った事から始まります。
その後、難波津から西国へ向かう防人たちが
旅の安全を祈ったとされ、
旅の安全祈願として地域の崇敬を受けています。
私も今回の旅の安全を祈願してきました。

神紋は水鳥の一種である白鷺(しらさぎ)
この事からも海に近かったことが分かる

大阪四天王寺編はこれで終了。

翌日の奈良飛鳥編に続く…

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