平安神宮と賀茂御祖神社。

5月に京都に行ったばかりですが、

あれから1週間ほど経って
食が通らなくなったという事で祖母が入院し、
それから下血、入院からわずか二日で亡くなってしまいました。
そうした都合もあり、法事で頻繁に京都に帰る事になります。

身内に不幸があったら鳥居をくぐらない方がいいとも言いますが、
孫の喪中期間は10日と言われているので
一応は喪中明けという事で神社参拝を再開する事にしました。

平安神宮

平安神宮の大鳥居

いつも帰郷の度にあってる友人と平安神宮の大鳥居前で待ち合わせ。
この友人とは時代祭りにも一緒に見に行った仲なので
祭り当日には入れなかった平安神宮にお参りしました。
自分は時代祭りの翌日に参拝しましたが、
当時はまだ御朱印集めをしていなかったので
今回は明治神宮、橿原神宮に続いて
平安神宮の御朱印を頂くという目的があります。

この日頂いた御朱印にすべてに共通するのですが
この平成三十の漢字表記初めて見ました!
後で調べましたが、二十年(廿)もあるみたいです。
殷代の寿命がだいたい三十歳だったので
丗は世の異字体とされるようです。なかなか興味深い!
そう考えると祖母は九十も生きたので大往生だったと思います。

賀茂御祖神社

河合神社

平安神宮参拝後は鴨川方面に戻って
三条京阪から出町柳まで電車で移動。

高野川と鴨川の合流地点である鴨川デルタを抜けて
下鴨神社へ行きました。
川と川の合流地点という立地もなんか意味ありげですよね。

これまでの御朱印収集の流れで見ればわかると思いますが、
大阪の坐摩神社(摂津国一宮)
奈良の大神神社(大和国一宮)に続いて
地元京都、山城国一宮の御朱印を頂きに来ました!

南から来たので
まずは摂社の河合神社の鳥居から境内に入りました。
河合神社は美人祈願、美容にご利益がある
という事で若い女性に人気の神社です。
鏡型の絵馬が特徴で、
多くの女性が絵馬に描かれた顔に色鉛筆で化粧を施していました。
勝負事にもご利益があるようで、
日露戦争戦勝記念の砲弾や
サッカーチーム京都サンガFCを応援する巨大絵馬が置かれていました。

鏡絵馬

こちらの御朱印は残念ながら全部ハンコです。
ズレた跡が物語っています(;^ω^)
若いバイトと思われる巫女さんがポンポン押してるようです。
やはりここも観光地化が進んでいる。
オカルトマニアとしては秘密結社八咫烏の本拠地として知られますが、
そんなミステリアスな雰囲気はあまり感じられませんでした~

賀茂御祖神社

中門

賀茂御祖神社が正式名称ですが、
もっぱら下鴨神社と呼ばれています。
賀茂氏の氏神を祀る神社で
京都で最も古い部類に入る由緒ある神社です。
本殿の前に生まれ年の干支ごとに社が並ぶ面白い配置。
子供の頃に来たことがあるかもと
かすかな記憶がよみがえりますw
参拝を済ませて御手洗池の水に浸す水みくじを購入しましたが、
池の写真もおみくじの内容も忘れました(;^ω^)
さざれ石
河合神社同様に右上に
下鴨神社のシンボルである双葉葵の判子がありますが、
緑色にすることでいっきにカラフルで豪華な印象になりますね。
参拝の後は下鴨神社が発祥とされる
元祖みたらし団子を食べに甘味処に行きました。

元祖みたらし団子

一つ目と二つ目の団子の間に空間がある計5個のくし団子
本来のみたらし団子の形だそうです。
みたらしとは下鴨神社境内にある御手洗池の事で
鎌倉時代、後醍醐天皇が水をすくおうとすると
1つ大きな泡が出て続いて4つの泡が出てきたという逸話があり、
その水泡を表現したという説や
一つ目の団子は頭を表し、残りは四肢を表すという説があるそうです。

今回はここまで
三条河原町まで戻って散策してラーメン食って帰りました。

ラーメン横綱

下鴨神社と来たら次は上賀茂神社にも行って山城国一宮を制覇したいですね。

祖母との死に目の話と御朱印収集。

祖母の危篤の話は聞いていましたが、
先週会ったばかりだしどうなるかもわからないからと両親に言われ、
他の家族や親せきが病院を訪れる中、
実家に戻る事なく、結局死に目には会えませんでした。

5月の最後の帰宅時は何もかもいつもと違ってました。
いつもリビングのソファに座って帰りを待ってくれてたのに
ディケアに通っていたので不在で
こちらがディケアから戻ってくる祖母を待つという状況。
帰ってきた寝たきりの祖母に顔合わせると
力なく微笑んでくれましたが会話もなく…
帰郷時も連日の外出で祖母といる時間は長くありませんでした。
東京に戻る日の朝に祖父の三十三回忌もあるので
「またすぐ戻ってくる」と言ったのが最後でした。

後ろ髪を引かれる思いで実家を後にしたら、
最寄り駅までの途中で新幹線のチケットを忘れたことに気付いて
一度家に戻ったのはなんだったのだろうか…(前言実行じゃん)

帰郷を通してだいぶ弱っていると思いましたが、

もう少し頑張ってくれるだろうと思っていただけに残念です。
最後に笑顔を拝めたのがせめてもの救いです。
あの時、晴明神社の井戸水を飲ませていれば体調が変わったのだろうか…
湧き水の効能を疑うわけではないけど、
祖母の信仰する宗派ではないし、
かえって体の中でけんかしてダメだったかもしれない…。
結局、水は東京に持ち帰りカップ麺用の水として利用しましたw

あの時、祖母に会う前に初めて一人で墓参りに行って、
雑草掃除をして線香立てて祖母の回復を祈ったのですが、
結果的には実家に33年前に亡くなった祖父を
お迎えに連れて帰ったみたいで…
祖母の遺骨が早々にあの墓に入るのかと思うとなんだか妙な感じです。

そもそもこの墓参りも、たしかに回復祈願という名目でしたが、
天皇陵参拝を前にして御陵印帳が欲しくて
たまたま販売している工房が実家の墓に近く、
墓周辺の北野エリアの御朱印も集められるなという事で…
本当に都合が合っただけの「ついで」だったんですよね。(;^ω^)
今思うと祖母が亡くなったのは
祖父の三十三回忌を目前に控えたタイミングだったり、
この最後の帰郷直前に御朱印収集を開始したのも
何か特別な意味があるのかもと思っています。

いつも自分の身を案じてくれて
「早く家に戻ってきて」と言っていた祖母でしたが、
そんな気持ちを知りながらも
最後まで自分のわがままで実家には戻らずじまいでした。
他の家族とは違って自分だけは
祖母の最後の六年間の人生を共に過ごすことができませんでした
悔やんだところでもう祖母とは会えません。
スタンプラリーだの本来の意義を見失ってるだの
いろいろと賛否はあると思いますが、
これも何かの縁と思って
御朱印収集を通して故人と対話していきたいと思います。

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