押し忘れた御陵印をもらいに桃山御陵に行くついでに
従姉が勤め先の仕事で建仁寺での陶板画の展示を手伝ったという事で
建仁寺他祇園周辺の御朱印を収集してきました。
建仁寺
花見小路通に面した北門 |
枯山水 |
◯△□乃庭 |
建仁寺は観光客でにぎわう祇園のど真ん中に位置しており、
門の前は何度も通ったことがありますが、
実際に中に入ったことはこれまでなかったと思います。
ここは臨済宗建仁寺派の大本山です。
臨済宗は様々な流派があり、統一された総本山はないとされますが、
日本においての臨済宗の開祖である栄西が開いた京都初の禅寺なので、
実質総本山的な位置づけであると思います。
ここは風神雷神図屛風を所蔵することで有名ですが、
現物は京都国立博物館に貸し出されており、
ここでは複製された陶板画を見ることができます。
これが義姉の会社の関わっている仕事ですね。
朱印には「扶桑最初禅窟(日本で最初の禅寺)」と書かれていますが、
実際は博多の聖福寺の方が早いです…
まぁ両方とも栄西が開いたのでいいのかな?
建仁寺を出て祇園花見小路通でランチ。
八坂神社
西楼門 |
舞殿 |
本殿 |
ランチの後は四条通に出て東に進み八坂神社に行きました。
初詣参拝者は京都府下では伏見稲荷に次ぐ規模の神社です。
自分も正月に京都で友人と会ったときは毎回初詣に行っていましたが、
御朱印未取得だったので行ってきました。
伏見稲荷の千本鳥居とは逆に
西楼門から入ると一切鳥居をくぐらないので一見神社に見えません。
ここはかの有名な祇園祭で知られていますが、
社名も元々は祇園社と呼ばれていました。
祇園とは平家物語の書き出しである
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で
誰しも一度は聞いたことがあると思いますが、
ブッダが説法した寺に由来し、
どちらかというと本来はお寺がメインで
神仏習合の影響で牛頭天王とスサノオが同一視されていたようです。
一般的に知られる四条通に面した西側ではなく、
正式な参道である南側には
自然石としては日本最大級と言われる石鳥居を見ることができます。
朱印には織田信長の家紋である五つ木瓜紋が描かれていますが、
元々は牛頭天王の神紋でした。
数々の神社を破壊した織田家が牛頭天王を信仰していたため
神社側が破壊を恐れて牛頭天王を祭って祇園信仰が広まったかと思えば
明治期の廃仏毀釈により仏教色を薄めるために
スサノオをメインに祭り、八坂神社を名乗ることを強いられるなど
歴史に翻弄された痕跡を見ることができます。
ブラタモリでもやっていましたが、
大正期に四条通に市電(路面電車)を通すことになって
道幅が北側に広くなり、道に面して正面ではなくなったので、
西楼門を移築したというエピソードがあります。
今や市電は無くなり市バスが走り、
最近は観光客急増を受けて歩道が拡張されるなど
八坂神社周辺の風情は時代と共に移り変わりますが、
これからもその中心には常に八坂神社があるのだろうなぁ…
高台寺
大門 |
開山堂 |
八坂神社の次は円山公園からねねの道を通って高台寺に行きました。
ここは最初に訪れた臨済宗建仁寺派の寺となっていますが、
元々曹洞宗の寺院で豊臣秀吉の死後、
正室の北政所によって秀吉を弔う寺院として建立されました。
織田信長の五つ木瓜紋に続き、 豊臣秀吉の五七桐の御朱印をゲット! |
京都霊山護国神社
高台寺の次は維新の道を通って京都霊山護国神社に行きました。
ここはいわば京都の靖国神社(護国神社)ですが、
靖国よりも歴史が古く、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓があることで有名です。
パール判事の碑などの第二次大戦の展示もありますが、
明治以降の近代戦争というよりも幕末動乱のイメージが大きいかも。
八坂神社同様、過去に墓参りには行ったことがあるので今回はスルー。
薄墨の感じが珍しい。ついでに印も薄い… |
六波羅蜜寺
本堂 |
十一面観音立像 |
ぐるっと東山から祇園中心部に戻ってきて六波羅蜜寺に行きました。
ここも以前訪れた記憶がありますが、
その時は小さい境内で特に何も感じずに帰ってしまいましたが、
今回はお堂にも上がり、宝物館も観ました。
やはり教科書にも載ってる空也上人像が必見ですね。
ここは現在真言宗に属するようですが、以前は天台宗だったようです。
民間における浄土教の先駆者、踊念仏の開祖とも言われているそうで
開祖の空也自身は特定宗派に属さなかったそうです。
寺の名前である「六波羅蜜」は仏教の教義の事ですが、
六波羅とはこの付近の地名である「六原」に由来するとも言われています。
六波羅と言えば鎌倉幕府の京都の出先機関である
六波羅探題を思い起こす人がいるかもしれませんが、
それもこの寺の近辺に存在していました。
六道珍皇寺
日も暮れ始め最後に訪れたのが六道珍皇寺です。
本堂は閉まってましたが、
インターフォンで「御朱印ください」と言ったら
快くあげていただき対応していただけました。
こちらも高台寺同様に臨済宗建仁寺派に所属しています。
鎌倉時代までは東寺(真言宗)の末寺でした。
こう考えると臨済宗は時の権力に取り入るのがうまいですね!
六波羅蜜寺といい六の数字が続きますが、
六道も仏教用語で、死後に行く6つの世界の事です。
近年だと高橋留美子の漫画
「境界のRINNE」の主人公の名前が「六道りんね」でしたね。
この寺の境内付近が古来より六道の辻と言われていて
この世とあの世の境界。冥界への入り口と言われていました。
というのも平安京の火葬場である
鳥辺野の入り口がちょうどこのあたりなのです。
そう考えるとここを起点として東側の東山エリアに
高台寺や清水寺などの寺が密集し、大規模な墓地が多かったり、
無名戦士を祭る観音像や
護国神社のある場所が霊山と呼ばれたりするのも納得です。
ここに平安時代初期の公卿である小野篁が
この世とあの世を行き来したとされる井戸が残されています。
普段は非公開ですが、格子の隙間から遠目で存在を確認できます。
冥途通いの井戸 |
京都の東側はだいぶ充実してきたので
そろそろ他のエリアにも足を延ばしてみたいところですね。
コメント