桃山御陵・乃木神社・泉涌寺~京都伏見観光~

祖母の一周忌法要のために京都に帰郷していました。

今回は昨年の奈良の畝傍御陵、東京の武蔵野陵に続いて
改元前には行きたいと思っていた
京都の桃山御陵と泉涌寺に御陵印をもらいに行きました!

桃山陵墓地

明治天皇陵(伏見桃山陵)

明治天皇が眠る伏見桃山陵。
実家がお世話になっているお寺
高校時代に通っていた画塾がこの近辺にあり、
何かと伏見とは縁があるのですが、
天皇陵まで行くことはそう頻繁にはなかったですね。
学生時代に一度暇すぎて自転車で天皇陵まで行った記憶がありますw
さすがに初の近代君主とあってスケールの大きいお墓です。
大正天皇の多摩陵と比べても
明治天皇の伏見桃山陵がより荘厳に感じたのは
やはりこの大階段の効果ですかね。
ご高齢の上皇、上皇后両陛下が参拝されるときは
階段ではなく坂道の通路を使って
近くまで車で乗り付けるのだと思います。
明治天皇たっての希望によって京都伏見に埋葬されたのですが、
京都から東京へと拠点を移された最初の天皇という事もあり、
やはり「最後は京都に帰りたい」という思いがあったのでしょうか?
明治天皇陵は豊臣秀吉の晩年の居城だった
伏見城の本丸があった場所にあります。
明治天皇が崩御された場所は皇居の明治宮殿ですが、
こちらも江戸幕府の本拠地である江戸城跡に建てられました。
こう考えると明治時代というのは
武士の時代から再び天皇の時代へ
歴史を塗りかえる作業だったという風にも感じますね。
伏見桃山東陵
隣接する昭憲皇太后が眠る伏見桃山東陵を参拝して
桃山陵墓監区事務所で御陵印を頂きました。
明治天皇陵と父にあたる孝明天皇陵の御陵印

桓武天皇陵(柏原陵)

伏見桃山陵の広い参道と交わる細い参道を通って
桓武天皇の眠る柏原陵にも参拝してきました。
参拝者が少ないのか参道はあまり整備されてる様子がありません。
京都から江戸に移った明治天皇のように
平城京から平安京に遷都した第50代天皇で、
平安神宮の主祭神にもなっており、京都と縁の深い天皇です。
この近くに明治天皇陵を作ったというのも何か大きな意味を感じさせますね。

乃木神社

一の鳥居
入って右側の公衆トイレは少女の霊が出るという心霊スポットなのだとか…
神門
拝殿

桃山陵墓地近くの乃木神社にも行ってきました。
主祭神は乃木希典
明治天皇に仕えた陸軍大将で、日露戦争で陸軍を指揮した軍人です。
そういった性質の神社なので護国神社のような
戦争に纏わる慰霊碑、モニュメントが境内に散見しています。

さざれ石
水師営から移植された棗の木

現在の感覚では理解しにくいですが、
乃木希典は天皇崩御の知らせを受けて殉死し、
当時、最後まで立派な忠君だと称賛されました。
東京渋谷に明治天皇を主祭神とする明治神宮が創建されると
有志によって乃木坂にある乃木邸近くに乃木神社が建てられ、
明治天皇が眠る京都桃山にも
天皇陵に寄り添うかのように乃木神社が建てられました。

乃木将軍の胸像

境内には日露戦争時に軍司令部として使用された民家が移築されており
ちょっとした資料館となっています

乃木将軍が寝起きした寝室
満州地方の暖房装置オンドル
乃木神社を創建した村野山人像

泉涌寺

大門
仏殿
京都にはもう一か所御陵印を貰える場所があり
月輪陵墓監区事務所を目指して東山の泉涌寺まで足を延ばしました。
泉涌寺は真言宗に属しますが、皇室とゆかりの深いお寺
皇室の菩提寺として御寺とも呼ばれています。
鎌倉時代に後堀河天皇と四条天皇の陵墓を築いて以降、
明治時代で廃仏毀釈が行われるまで、歴代天皇の葬儀を取り仕切っており、
江戸時代~幕末、後水尾天皇から
明治天皇の父にあたる孝明天皇までの天皇陵は泉涌寺にあります。

四条天皇、後水尾天皇~仁孝天皇陵(月輪陵、後月輪陵)

数がめっちゃ多い!
この先は一般の墓地のように石塔が並んでいます。

後月輪陵は光格天皇と仁孝天皇の陵墓ですが、
月輪陵と一緒の場所にあり、あまり区別されてないようです。
月輪陵、後月輪陵が他の天皇陵と違うのは仏式
一般のお墓のように石塔が建てられているところです。
さすがに合葬はせず個人個人で石塔がありますが、
神道式の天皇陵と比べてコンパクトに感じます。

御堀河天皇陵(観音寺陵)

泉涌寺を皇室の祈願時と定め、
最初にこの地に埋葬された後堀川天皇の陵墓。
月輪陵とは独立した形であります。
孝明天皇陵(後月輪東山陵)への参道途中にある
階段を上った先にありますが、
孝明天皇陵を優先しスルーしてしまいました(;^ω^)
この時代の天皇ってあんまり印象がないのですが、
みんな若くして亡くなってるんですよね…

承久の乱後鳥羽上皇が鎌倉幕府に謀反を起こしたため、
幕府が後鳥羽系を排除し、後堀河天皇を擁立しますが、
まだ10歳と若かったため父の守貞親王が
天皇在位経験がないにもかかわらず、上皇となり院政を行います。
しかし院政開始2年で亡くなり、
後堀河天皇も21歳の時、院政を行うべく、
わずか2歳の四条天皇に譲位しますが、
またもや院政開始2年で23歳の若さで亡くなり、
その子である四条天皇も不慮の事故で12歳で亡くなってしまい
守貞親王の血統は断絶してしまいます。

結局後継者は後鳥羽系から擁立する事になります。
これらは後鳥羽上皇の呪いと恐れられました。

御堀河天皇陵の御陵印(下)

孝明天皇陵(後月輪東山陵)

本日最初に訪れた明治天皇の父にあたる孝明天皇の陵墓です。
葬儀は仏式で執り行われて御陵にも鳥居がありませんが、
孝明天皇陵から神道式の円墳が復活しています。
この神仏折衷のちぐはぐな感じが明治維新の混乱を物語ってますね。
天皇の埋葬は古代は土葬
中世になるにつれ仏教思想が浸透して火葬される例も増えましたが、
土葬が基本とされてきました。
上皇、上皇后両陛下は両陛下の希望により
葬儀では火葬されることが発表されており、
多摩陵の隣で工事が進められている陵墓の規模も
従来よりも縮小される見込みです。
こうして江戸時代以来350年以上続いてきた
天皇の埋葬方法が大きく変わる事になります。
このように歴代天皇陵を見ていくことは
歴史の流れを肌で感じることができ、
それは過去の話ではなく現代進行形でもあるのです。
皇室のお寺とあって御朱印も菊紋があります。

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